末社
太上神仙鎮宅霊符神
ご神木に接して鎮座するお守りやお符の元祖の神様です。節分や七夕など星祭りはこの神様の家内安全、商売繁盛のお祭りです。
お百姓が冬の終わりに田を耕すように、春の節分祭では、星祭をして屋敷の清め祓いをして星霊の種を撒きます。
七夕には星祭を行い大真西王母須勢理姫命をお招きして星霊の力により生命の復活再生を希う繁昌祭を行います。
節分で祓い七夕で増やすと云う、このちんたくさんの星祭は、あらゆる宗教に取り入れられ現在に到っています。節分符、七夕符にはこの様な意味が有り家で祀られるようになりました。
ちんたくさんと呼ばれる話ですから、家宅の鎮めはちんたくさんの神効の第一です。当社では節分、七夕には大祭を催し,古来の鎮宅霊符の伝流にのっとり霊符を発符し、ご希望の崇敬者に授符致します。
熊野第一王子之宮
平安時代に「蟻の熊野詣」といわれるほど賑わった熊野詣は、目的の熊野三山巡拝の前に、熊野権現の分霊を祀った九十九の王子社を巡拝しながらたどっていきます。京の都から船で淀川を下り、上町台地へ上陸する天満の港に「第一王子之宮」がありました。
ここが熊野への出発点で第一王子に参拝して、御祓を受けた後、熊野詣に出発したといわれています。
その後、四天王寺の西門鳥居近くの「熊野神社」に鎮座していたと伝えられていますが、大正4年2月10日に堀越神社に合祀され、「熊野第一王子之宮」として現在に至ります。また、熊野権現の神使は八咫烏(ヤタガラス)三本の足を持つカラスとして描かれています。
日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですが、神武天皇のご東征を道案内したり、その功績は数多く伝えられています。
春の例大祭の日に(4月第3日曜日13時~)熊野社花祭が催されます。
茶臼山稲荷神社
堀越神社境内に鎮座します茶臼山稲荷社は、古来より商売繁盛の神として人々の信仰を集めています。
その昔、天王寺 茶臼山の山頂に祀られておりました。
大坂夏の陣の際に徳川家康が茶臼山稲荷の白狐に危機を救われたことから、家康の信仰が厚かったと言われています。大坂夏の陣の後、現在の処に祀られるようになりました。
徳川時代、大阪城代が新たに任に就くと、茶臼山の家康陣所の跡に敬意を表するを例としましたが、その都度堀越神社に詣で幣帛を奉り、燈籠を献じ、盛んに礼典に尽くしたと伝えられています。