北斗七星 ちんたくさん
太上神仙鎮宅七十二霊符尊神
御神木&鎮宅霊符尊神 お守りやお札の元祖の神様です。紀元前、中国前漢の孝文帝の時代に広まり、節分や七夕など星祭りはこの神様の家内安全、商売繁盛のお祭りです。
 ある時、孝文帝が地方視察をなさると、ひなびた田舎にもかかわらず盛んに炊事の煙が立ち昇り、人の出入りの多い家がありました。
 易学や風水術にたけた帝の目で見て凶相の家なので不思議に思い、家の主人に尋ねたところ、「ハイ、およそ三十年前に不思議なことがございました。こんなやせた土地柄ですので、住むものも居らず、食うや食わずの生活でしたが、ある日二人の見慣れないきれいな人等が立ち寄り空腹を訴えますので、ありあわせの粗末なものを与えましたところ、思いの外喜ばれまして、これをお祀りなさいと、七十二枚のお守りをいただきました。
 心打たれるところがありましたので、大切に神棚にお祀りしましたところ、お二人が云われた様に十年もすると家は豊かになり、人々が寄りつくようになりました。そして二十年も致しますと子供たちが沢山の子に恵まれまして、ひなびた里も賑わうようになったのでございます。
 そして今日は三十年目の年に当たり、あのお二人が云われた通り白衣の天子様のご来訪の栄を賜りました。ちんたくさんのお陰でございます。」
 主人は劉進平と云う人で、孝文帝は七十二符を謹写し都に持ち帰って陰陽師に命じて諸国に玄武を祀らせ、鎮宅霊符神を勧請して盛んに霊符を発符して人々の幸せを希いました。
 この物語に登場する不思議な二人は神仙と判り、神仙直伝の新符であるところから、太上神仙鎮宅七十二霊符神と呼ばれるようになり、全て星神のこの霊符から、お守りやお札などの風習が始まったのです。
 七十二の数は、大司命七十二星神のことで、極めて多い数を示す代名詞になりました。正式には大司命七十二神、小司命八千七百諸神國津神三十九司命と云うのが奈良朝陰陽寮で発符していた頃のちんたくさんの中味です。
 ちんたくさんが流行ったことの痕跡は世間に深くきざみこまれており、最も代表的なものが節分、七夕の星祭りです。
 天の二十八宿は古墳の天井画に見られ、その折には必ず四方神の玄武、青龍、朱雀、白虎が四方に描かれています。ちんたくさんの星祭りは北方玄武神の上に北斗七星を配して祀ります。
 お百姓さんが冬の終わりに田を耕すように、春の節分祭では、星祭をして屋敷の清め祓いをして星霊の種を撒きます。世間の節分の行事に照らせばこの意味が判りましょう。
七夕には星祭を七日七夜行い七月七日の結願の日に大真西王母須勢理姫命をお招きして星霊の力により生命の復活再生を希う繁昌祭を行います。
 節分で祓い七夕で増やすと云う、このちんたくさんの星祭は、あらゆる宗教に取り入れられ現在に到っているのです。節分符、七夕符にはこの様な意味が有り家で祀られる様になりました。
 ちんたくさんと呼ばれる話ですから、家宅の鎮めはちんたくさんの神効の第一です。
加えて健康、家内の親和、家業の繁栄の為にちんたく修法は、霊符、神符、道符を使って様々な神事、修法を行います。七十二種の神符には実に様々な効験が有り、道士がこれ等を謹作し、玄武を神のよりしろに大司命神七十二神を始め、いわゆるちんたくさんを招神して暗中神符に入魂して実効の有る符に仕上げ発符するのです。
 節分、七夕には大祭を催し各符を発符し、希望の崇敬者に授符致します。
 地鎮、家屋の鎮めに就いてご要望のあります折は別途ご相談下さい。


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